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理事長挨拶

理事長
一般社団法人 千歳青年会議所

第53代理事長 中山 千太朗

一般社団法人 千歳青年会議所 2016年度 スローガン

千歳青年会議所スローガン2016年度

理事長所信

忘れてはいけないこと

日本人として生まれ何不自由のない世代として生きてきた我々は幸せに満ちています。 しかし絶対に忘れてはいけないことがあります。 それは今日の日本をこんなにも明るく豊かな社会へと復興させていただいた先人達への感謝の気持ちと恩返しです。 戦争を経験していない我々は食べるもの、着るもの、住まう家に苦労をしたことが少なく戦後の日本がどんなに貧しく、辛く厳しい中から復興を遂げたのかは経験していません。 教科書でしか見たことのない焼け野原や、その日の食料に困りながらも懸命に飢えを凌ぎ、生き抜いた時代がこの日本にあったのです。 私は以前、鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和記念館を訪れました。 10代、20代の若者達が神風特攻隊として出陣し再び戻ることの無い最後の手紙が館内に展示されていました。 多くの手紙は残される人達への感謝の気持ちと未来の祖国日本のため立派に特攻を成し遂げるから悲しまないで欲しいと書かれていました。 それまでの私の認識では特攻隊員は祖国日本のためだけに犠牲になったと勘違いしていました。 軍事命令だけで特攻を決意したのでは無く自らの家族、友人、そしてすべての愛する人々の盾となったことを知りました。 驚くことに私の住まう北海道からも多くの青年達が特攻隊として戦地に赴いたことを知りました。 1,036名の特攻隊員戦死者のうち実に35名の方が北海道からの神風隊員でした。 そして1945年(昭和20年)8月15日、玉音放送により日本国民に終戦が伝えられ日本全土が敗戦の悲しみと苦しみに包まれました。 食料、物資不足、生活基盤の多くに損失を受け我々には計り知れない苦難の日々が続いたのです。 しかし、その日を生き延びることさえ困難な状況が続く中で1951年(昭和26年)敗戦からわずか6年で東京に青年会議所の前進である東京青年商工会議所は誕生しました。 戦後の貧困期から日本復興の一躍を担うため自らの家族、友人そして祖国日本を救うため、勇気ある若者達が自らを奮い立たせ立ち上がったことを我々は決して忘れてはなりません。 その後、先人達の必死の努力により日本は復興への道のりを歩み続けます。 エネルギー資源の少ない国である日本は世界に誇れる勤勉さと、類まれなる技術力によって幾多の高度経済成長を成し遂げました。 好調な経済成長を支えたのは家族との時間を犠牲にし、身を粉にして働いた世代のおかげです。 私達の曽祖父母、祖父母、両親の世代はこうした激動の日本を今日の明るい豊かな社会へと導いてくれたことを私達は深く胸に刻み決して忘れてはいけないのです。

現代の責任世代としての使命

戦後から19年後の1964年(昭和39年)日本復興の熱き想いを胸に古卿 哲雄 翁を初代理事長として千歳の若者達は立ち上がり千歳青年会議所が設立されました。 当時は東京オリンピックが開催され、日本の戦後復興を象徴する歴史的な年でもありました。 しかし、歴史を振り返り見れば今日まで日本は決して順調な高度経済成長を遂げたわけではありません。 その間には1973年に第1次、1979年に第2次のオイルショックを経験しました。 エネルギー資源の少ない日本経済は原油の値段高騰により大きな打撃を受けました。 さらには1991年に戦後最大級の経済危機であるバブル崩壊も経験しています。 千歳青年会議所会員はこうした幾多の経済危機に直面しながらも社業や社会生活を送り困難を乗り越えてきました。 青年経済人の団体である千歳青年会議所会員はこうした激動の時代の荒波をいくつも乗り越え、千歳青年会議所の看板を守ってきたのです。 今日の一般社団法人千歳青年会議所が存続しているのは敬愛する先輩諸兄の汗と涙の結晶なのです。 今後の日本は高齢化社会、人口減少、諸外国との外交問題と領土問題、国債の増加など、数多くの諸問題を抱えています。 これらを打破し解決へと導くのは国や社会だけでなく、一人ひとりの努力無くしては成し得ることは絶対に不可能です。 地方の小さなまちからコツコツと、一人ひとりの地道な運動がいずれ大きな運動となります。 ひとつの青年会議所の活動も決して例外ではありません。 いずれは世界へと波及するような活動、運動も実現不可能では無く、必要なのはその気概を持つことです。 未来を託された私達にはさらなる明るい豊かな社会を築き上げ次世代へ引き継ぐ使命があります。 祖国日本の再興を遂げた先人達への感謝の気持ちを持ち、この千歳からどんなに微力でも行動することこそが我々責任世代の使命なのです。

まちの魅力の発信と可能性

千歳には国内空港で旅客数第4位を誇る国内、国際線を有する新千歳空港があります。 2014年の統計では約1,927万人の乗降客が新千歳空港を利用されています。 実に千歳の人口の約200倍以上の人数にあたります。 国内はもとより年々増加している世界からの旅行客により新千歳国際空港の需要はさらに増しています。 こんなにも多くの方が千歳の地を訪れているのに対し、残念ながら千歳には立ち寄らず素通りしてしまっている現状があります。 アクセスのためだけのまちではなく千歳の良さを知ってもらいたい。 このすばらしい千歳の魅力を体験してもらいたい。 一般社団法人千歳青年会議所では「CHITOSE RIVER CITY PROJECT」を2014年に初開催しました。 国立公園に属する支笏湖を源とした千歳川は名水100選にも選ばれるナイベツ川を支流に持つ水量が豊富で美しい清流です。 多くの観光客の訪れは千歳のまちに必ず賑わいをもたらし、ひいては経済波及効果ももたらします。 この観光客を多く呼び入れることはまちの魅力の発信だけに留まりません。 日本はいま人口減少の一途を辿っています。 現在までは人口の微増を遂げている千歳も将来的に人口が減少していくと予想されています。 人口減少問題を打破する効果として人口が1人減るのに対し外国人観光客7人の観光客が訪れることによってまちの活性化、経済は維持される統計調査結果があります。2020年には東京オリンピックが開催されます。 世界中の多くの人に日本の魅力をアピールする最高のチャンスなのです。 ユネスコ無形文化遺産に登録された和食、四季折々の情緒溢れる気候、日本人のおもてなしの心は必ず日本を訪れた世界の人々に感動を与えます。 世界から国内から多くの人を呼び込みまちの賑わいを創造することは千歳だけの経済波及効果や賑わいの創出では無く、北海道、ひいては日本へ活力となり再興への道へと繋がる第一歩となります。 その小さなきっかけの第一歩を千歳のまちの魅力が担います。

ふるさとの思い出を胸に

私も就職のため札幌に住んだ時期があり、数年間だけふるさとを離れ暮らしたことがありました。 1時間もあれば帰ることのできた距離ですが帰省したのは正月とお盆の墓参りの年に2回くらいでした。 たまに帰ると携帯電話での通話音が聞こえなくなるくらいの戦闘機の爆音が妙に懐かしく、昼の12時ちょうどをお知らせする消防署からのサイレンが札幌では流れていないことに気がつき笑顔になりました。 こんな何気ないことが子どもの頃からの思い出となっていてふるさとに帰ってきたことを実感させてくれる。 本当にふるさとはいいものだなと感じました。 人によってはそんな思い出がふるさとの思い出と笑われるかもしれませんが、不思議とうるさいはずの爆音に腹も立つことは無く、昼のサイレンで昼休みになったことに気づき昼食を取れることに喜んだのは本当にいい思い出なのです。 そんなふるさとが無くなっていく可能性が今後の千歳、北海道、日本各地のまちに起こり得るのが現実です。 自分を育て思い出を育んでくれたまちが衰退し、まちに活気が無くなるのは絶対に寂しいものです。 次の世代に寂しい思いはさせたくない気持ちがあればこそ思い出のまち千歳のためにも私は恩返しをします。 誰しも母校がスポーツなどの大会に出たときは応援してしまう母校への想いと同様に、必ず自らの住まうまちへの誇りや郷土愛がある筈です。 我々の次の世代に活気のある、いろいろなことが思い出となるまちを残し引き継ぐためふるさと愛の醸成に務めます。

未来の熱き志高い市民

昨年で千歳市民討議会は3回目を開催することが出来ました。 千歳市民の方を対象に2000名の方に無作為抽出でご案内をさせていただき多くの方々にご参加をいただきました。 そして市政への提言書として討議結果の報告を行いました。 しかし参加していただいた方々のなかに若者が少なかったもの現状です。 昨今叫ばれる若者の政治離れの様な自らのまちへの関心の薄さを露呈してしまったのかもしれません。 まちづくりは決して行政だけが行うべきではありません。 自分のまちは自分たちで創り上げるそんな気概を持った若者のまちづくりを考える場として提供できるような市民討議会を目指します。 若者は決して自らのまちに関心が無いわけではありません。 良し悪しはあるものの先に法案として通過した安保法案でのデモなどは自分の未来について考える場、話し合う機会が少ないのだと思います。 自分たちの住まうまちだからこそ何が必要で、何が不要なのか、問題は何かを議論すべきです。 率先して未来のまちについて考え行動する市民が多くのいるまち、その先には必ずや明るく豊かな住みやすいまちが待っています。

青年会議所会員としての背中

昨年で4名の熱い情熱を持った同志が卒業し、一般社団法人千歳青年会議所は34名でスタートを切ります。 一時は100名規模の体制を誇った一般社団法人千歳青年会議所は3分の1近くとなっております。 そのため経験年数の少ない会員は一致団結し必死の想いで活動を続けています。 少数精鋭で仲良く手を取り合い日々努力はしているものの人手不足は決して否めません。 今後の組織継続のため会員拡大は必須となっております。 未来の一般社団法人千歳青年会議所のため一人でも多くの同志を増やすべく会員拡大を積極的に行います。 千歳青年会議所会員は同世代の見本となる品格と熱き情熱を備えまちづくりについて汗を流します。 しかし時には挫折し、失敗することも多くあります。 その時には必ず仲間同志で支え合います。 また、先輩からは温かい激励のお言葉をいただき自らを奮い立たせ、再び挑み続けるのです。 百折不撓という百回の挫折にも決してめげず折れることのない精神は責任感、友情によって支えられているのです。 いつ何時でも青年会議所の看板を背負った青年としての品格と自覚を持ち行動のひとつひとつに責任を持ちます。 その姿に共感し我々が会員拡大活動をせずとも千歳青年会議所に入会したいと門を叩いてくる組織づくりを目指します。

地域関係諸団体との連携

千歳には数多くの団体があります。 すばらしいボランティアを行う団体。地域に経済効果をもたらすため努力を続けている団体。崇高な精神の教えを伝える団体。各省庁などの公的諸団体。各企業などによる業界団体など、数多くの団体が存在しています。 そして一般社団法人千歳青年会議所はその多くの団体の一つであり、事業、例会などでも本当にたくさんの温かいご協力、ご支援をいただき活動できていることを決して忘れてはいけません。 一年を通してご案内いただく関係諸団体からの事業やイベントに積極的に参加をすることで、さらなる協力体制の強化をはかります。 その参加は一般社団法人千歳青年会議所だけでは決して学びきれない多くの知識、経験を得ます。 青年会議所活動からだけに限らず関係諸団体との協力でボランティア、地域貢献、奉仕活動に取り組んで参ります。

おわりに

一昨年に迎えた創立50周年に今後10年の未来像として一般社団法人千歳青年会議所運動方針を3つの行動提案として策定しました。 行動提案の1つ目に「地域の魅力」輝く千歳創造運動として、国立公園で日本最北の不凍湖である支笏湖を源とした千歳川にスポットを当て、豊かな自然の優位性を最大限に活かした「CHITOSE RIVER CITY PROJECT」を開催いたしました。 2つ目に「ふるさと愛」溢れる千歳創造運動として「千歳ふるさと青年大使は君だ!」を開催し、未来のまちづくりを担う青少年の育成を目標に開催いたしました。 3つ目には「志高い市民」集う千歳創造運動として「第三回千歳市民討議会」では市民意識を高め市民参加型の討議会を実施しました。 これら3つの事業を開催できましたのは偏に千歳に住まう皆様、関係諸団体の皆様、そして敬愛する青年会議所先輩諸兄、すべての方々のご協力の賜物とここに改めまして心からの感謝を申し上げます。 先人達の築きあげてきた歴史ある一般社団法人千歳青年会議所の第53代理事長を拝命し、決してその名を汚さぬよう百折不撓の精神で邁進することをここにお誓い申し上げ、青年会議所活動を通じ祖国日本とふるさと千歳の未来を築き恩返しをすることをお誓いします。

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